個々のプラス・マイナスよりも、全体のバランスが重要だと思います。
せっかくプラスがあっても、全体のバランスがとれていなければそのプラスが活きてこないと思います。
反対にマイナスがあったとしても、全体のバランスがとれていればそのマイナスはあまり気にならなくなると思います。
個々のプラス・マイナスよりも、全体のバランスが重要だと思います。
せっかくプラスがあっても、全体のバランスがとれていなければそのプラスが活きてこないと思います。
反対にマイナスがあったとしても、全体のバランスがとれていればそのマイナスはあまり気にならなくなると思います。
苦痛を感じている人の考え方は、硬直化しやすくなっていると考えます。
硬直化しやすい認知のパターン
(1)”全か無か”思考
物事を、成功か失敗か、あるいは、白か黒かで考えて、中間を認めない。
(2)一般化のし過ぎ
一つの事実だけを見て、「全て(いつも)こうだ」と思いこむ。
(3)選択的抽出
自分が関心を向けていることばかり目に入ってしまい、他のものは見えなくなってしまう。
(4)マイナス思考
良いことが見えなくなるばかりでなく、なんでもないことや良いことまで悪い方に考える。
(5)レッテル貼り
ちょっとした失敗体験を元に「自分はダメだと」レッテルを貼る。
(6)心の読みすぎ
わずかな根拠から相手のこころを勝手に推測し、事実無根の結論を下してしまうこと。
(7)拡大解釈と過小評価
悪いところやダメなところばかりを大きく考え、逆に良いところは小さく見積もってしまう。
(8)感情的決め付け
「自分がこう感じているのだから、現実もそうであるにちがいない」と思い込むこと。
(9)「すべきである」思考
何においても「こうすべきだ」「こうでなけらばならない」などと考える完璧主義的な思考パターン。
(10)自己関連付け
身の回りで起きる良くない出来事を何でも自分の責任だと思ってしまうこと。
コミュニケーション能力とは、対人関係において意思疎通や協調に必要な力です。
円滑な意思疎通や周囲の人との協調を図るには、一方的に自分の情報を伝えるだけでなく、相手の情報を柔軟に受け止めることも大切です。
人脈を作ろうと努力したり、コミュニケーションスキルを高めることによっても人が集まっていく環境を作っていくことは可能ですが、エネルギーが強い人はそのような努力を無意識のうちに行っていることが多いです。
▼交流分析の自我状態
交流分析では人はP(Parent、親)、A(Adult、成人)、C(Child、子供)という3つの自我状態のいずれかにいると考えます。
P(Parent):人が、無意識のうちに両親(または親の代わりとなるもの)の行動パターンを模倣をして、行動し、感じ、 思考する状態。
A(Adult):「今-ここ」でどのようなことが起きているのかについて人々が行動し、感じ、冷静に思考する状態。このA(Adult)の自我状態では、 自身は、現実における客観的な評価の対象として見られる。
C(Child):人が子供の頃にどのように振舞ったかと同じように、行動し、感じ、思考する状態。
さらに、P(Parent、親)は養育的な親(NP:NurturingParent)(寛容的、保護的)と、規範的な親(CP:CriticalParent)に分類され、 C(Child、子供)は自由な子供(FC:FreeChild/NaturalChild)(自然奔放)と、他者順応な子供(AC:AdaptedChild)に分類されます。
ストロークとは、他人の存在を認め、認めたことを表す言動のことです。ストロークには肯定的なものと否定的なものがあり、 肯定的なストロークは、褒める、励ます、微笑むなど相手からもらうと気分がよくなるストロークです。 否定的なストロークは、批判される、睨まれるなど相手からもらうと不快を感じるストロークです。
▼対話分析・交流パターン
相補的交流 スムーズな交流
交叉的交流 行き違いが起こる交流
裏面的交流 言葉に出さない部分に本心が隠れている交流
相補的交流であれば、スムーズな交流ができますが、それ以外の交流ではぎくしゃくした状態になります。
無意識は自分自身の最大の味方なので、無意識からのメッセージを上手に読み取ることができれば、あなた自身の日常生活に役立ちます。
無意識からのメッセージが現れる代表的なものは「夢」です。
また、現時点ではわからない方が良いことは、安全装置が機能して、わからないようになっています。
当ブログでも、無意識からのメッセージの読み取り方を伝えていきたいと思います。
誰でも、なんとなくそう思うとか、なんとなくそんな気がするということがあると思います。
この「なんとなく」とは何なのでしょうか。
人は、まったく根拠がないのに「なんとなくそう思う」ということはありません。
そう思う何らかの根拠があるから「なんとなくそう思う」のです。
しかし、その根拠が無意識の領域のものだから、意識の領域では特に根拠はないとか理由はないと感じるのです。